2019年 05月 05日
ベイズそしてチューリングそして新学部構想
この休みに気になっていたチューリングのことを調べていて次の言葉に出会った。
Instead of trying to produce a programme to simulate the adult mind, why not rather try to produce one which simulates the child’s? – Alan Turing, 1950.
Alan Turing, 1950.
なんと上の言葉は第二次世界大戦が終わって彼がひとりでコンピューター(クリストファーと名付けられていた)を自宅に作っていた頃の言葉なのだ。この後に彼が同性愛者だということで逮捕された時にこのコンピュータは破壊されている。
これは私が松原望先生と栗原直以さんと(あと数人)と一緒に前の大学を辞める前の仕事として手掛けていた新学部構想と関係する。
この構想は私が「神学部を作ろうと画策している」と妨害により頓挫してしまった仕事で、結局それが原因で前の大学を去ろうと決意したきっかけとなったものである。誤植ではない新学部ではなく神学部。
新学部は簡単にいうと子どもの発達心理学と(ベイズ)統計学とコンピュータサイエンスを融合させた学部を作ろうとしていたのだ。
その時に私はLOGOの開発者のMITのシーモア・パパート、マービン・ミンスキーの第二世代のAIをもう一度辿ってみようと考えていた。心理学者のジャン・ピアジュの名前もあがっていた。
不思議なことに渡邉 純一 (Junichi Watanabe)さんが若い頃アメリカに研修に行った時にLOGOが実際に子どもたちが使う教室(ラボのような)の現場を見たという話を後から聞いたし、なんと井之上パブリックリレーションズの井之上喬会長はパパートと親交があったと最近聞いた。
不思議なものである。私自身が、発達心理学もコンピュータサイエンスも専門で学んだわけではないので、そんな奴に何ができるという思いがあっただろうこと、日本の大学においては容易に想像ができた。私立大学研究ブランディング事業にアプライする考えであったが、豚に真珠だった。だから飛び出す決断もできた。
私の頭にあったのは若い時にロスアラモス研究所で核兵器開発と遺伝子研究に携わったジョージ・コーワンが1984年に民間から資金を集めて砂漠の中に民間のサンタフェ研究所を作り、そこで「複雑系」(カオス理論がその基礎)の研究の拠点を作ったというプロジェクトである。
コーワン自身が複雑系の研究をしていたわけではなく。彼は研究のディレクターであった。オーケストレーションをしたわけである。それは実にうまくいった。このコーワンが私のロールモデルである。
そこから金融工学が生まれ、リーマンショックにまで行きついてしまったことは皮肉ではあるが、学問的には領域を融合させるスタイルを築いた。
学際的、文理融合あるいはハッカソンなどを連想させるフリーでフラットな研究スタイルで、これこそ私が見果てぬ夢のように昔から憧れているものである。(これは私が東日本大震災を経験してすぐに学校広報ソーシャルメディア活用勉強会を呼びかけたことにつながるし、息子のMinori Yamashitaのスタイルにも影響しているかもしれない。また私が前の学園で広報センター長を引き受ける時に理事長から「学園は広報で変えていく。そのディレクター、プロデューサー、コンダクターをやってほしい」と言われて入職したので、責任上、中長期構想はいつも考えていた。そして今は日々の生活に追われながらも、この新学部構想をどこかで実現したいと動いている)



