2019年 06月 13日
SNS広報ツールとしてのtwitterの使い方
2019年 06月 10日
6月第2週 今週はえいご村キャンプの募集活動、佳境に入る
新しい週のはじまり。(備忘メモです。)
今日はえいご村の広告を少し考えます。そう広報ではなく広告。
Facebook広告は使ってますが、Adwordsが昨年から全然効かないので新たなチャンネルを探します。
ダイレクトメール作戦も展開中。主に英語塾、教室に対してです。そういえば定期運用中のtwitter運用代行も3か月を過ぎてフォロワーも増えてきました。毎日、社員の方々にLINEに配送先の先々の様子を画像でUPしてもらってそれをtwitterで発信という仕事ですが、楽しい仕事です。
これをtwitterだけでなくオウンドメディア運用、すなわち月ごとに外部のカメラマンとライターによる3-5本の取材付き記事を入れて、社長のブログ更新も手伝ってブランディングを意識した統一感のある発信をするというのが次の目標です。
そして学校広報についていうと
弊社が取り組むのは第三の広報チャンネルである
『海外広報』
です。
第一 募集広報
第二 大学広報
第三 海外広報 ← いまここ
先週から手掛けている関西の飲食業の求人を目的としたポータルサイト「タベル taberu タベル 」のテコ入れをはじめとした個人やスモールビジネス向けの弊社のSMART広報Rは早朝と夜の合間の時間にやります。案件山積です。みんな「急に見てもらえない」状態になって苦労しています。「個」をバックアップしてくれる、すなわち巨大な組織ではなく「ソーシャル」な活動を応援するためにネットがそしてネット検索があったのですが、少なくとも「個」は巨大なインターネットの中に埋もれています。
ソーシャルを追いかけることは私のライフワークですので、ぼちぼち新しい発信を始めます。
やはりGood News の発信こそ希望です。Don't be evil ですよ。
2019年 05月 28日
バーチャルロッカーの新しい企画書
日曜日に私が取締役を務めるバーチャルロッカーの株式会社C&Hのために企画書を書きました。
バーチャルロッカーは新宿駅でのコインロッカー不足を解消すべく移動型手荷物預かりサービスです。
私がスタートアップ時にプレスリリースのお手伝いをしたところ、テレビニュースにも取り上げられて、その縁で請われて取締役になった会社です。
バーチャルロッカーはアイデアは面白く、ネーミングも気に入っているのですが、実際は人的サービスなので収益的には厳しいビジネスです。
経営も厳しかったのですが、そこは社長のど根性で、ちょうどamazonの配送問題、その関連で宅急便各社の過重労働が問題になった時期に規制が緩やかだった軽運送サービスを始めたのです。それが思わぬヒット!
私たちにはバーチャルロッカーのイメージの中に「移動するトランクルーム」というのがあったので、軽トラックによる配送サービスはそれほどかけ離れたサービスではなかったのです。
スタートアップの教科書(たとえば『リーンスタートアップ』)に「あまり最初のアイデアに固執するな」というのがあります。実際に動いていく中で変化できる会社は生き残れるということですが、それを実行したわけです。わたしも積極的にその変身を応援しました。
それが事業的には成功し、4期目にはついに軽トラックに加えて2トン車による配送も加わることになりそうです。運送業は規制の厳しいビジネスですので不安定なところもありますが、楽しみです。拠点もシンクアップと同じ相鉄線沿線の西谷に作りました。中間の大和、二俣川がミーティングの場所です。
それでも社長以下私たち経営陣の中にはバーチャルロッカーの夢があります。
ホテル向けに旅行者が手荷物から解放されて観光できるように荷物のチェックインを到着地(交通機関から降りた地点)で行い、ホテルまで届ける(そしてその逆、ホテルから乗車地の駅や空港まで)サービスを企画書にしました。
2019年 05月 13日
忘れてはいけないこと、未来に向けて歩むこと
亘理町B&G海洋センター/艇庫から動画が届きました。
https://www.facebook.com/kaizokudmc/videos/2160694700711223/
津波で大きな被害を受けた東日本大震災からの復旧は海との関わりを取り戻すことでもありました。
そしてリクレーション、海洋スポーツの拠点作りは暮らし、産業の復興とともにたくましい人間の自然との共生の証でもあります。
それを地方自治体とともに地道に行ってきたのがB&G財団です。
ボートレースの収益金を元に1973年に始まったB&G財団はこれまで全国にレクレーション施設を建設し、地方自治体に無償で譲渡するという活動から始まり、「指導者づくり」「組織づくり」「海洋性レクリエーションの提供」などを行ってきました。
詳細
↓
https://www.bgf.or.jp/about_us/
B&GのBはブルーシー、Gはグリーンランドなのですね。
しかし東日本大震災で東北のB&G海洋センターの多くが被災しました。
そしてその復旧が地道になされてきました。
その様子については
https://www.bgf.or.jp/tokushuu/2017311/index.html
に書いてあります。
亘理町B&G海洋センターについては
https://www.bgf.or.jp/tokushuu/2017311/watari.html
に出ています。
私自身は震災直後から宮城県の山田町の復興に多少関係してきました。山田高校ボート部は震災前は全国に知られる強豪校でした。震災後はそみんなで応援してきました。
うれしい最近の記事があります。
https://www.iwate-np.co.jp/article/2018/10/19/26200
震災の記憶を忘れないことも大切ですが、それとともに未来に向けて海を愛し、海とともに生きる人々をさらに応援していこうと思っています。
※亘理町B&G海洋センター/艇庫については下記の記事に詳しく出ています。
https://www.kahoku.co.jp/tohokun…/201904/20190426_13021.html
また町から業務委託され亘理町B&G海洋センター/艇庫を運営する(株)海族DMCのFacebookページに最近の様子が出ています。
https://www.facebook.com/kaizokudmc
2019年 05月 05日
ベイズそしてチューリングそして新学部構想
この休みに気になっていたチューリングのことを調べていて次の言葉に出会った。
Instead of trying to produce a programme to simulate the adult mind, why not rather try to produce one which simulates the child’s? – Alan Turing, 1950.
Alan Turing, 1950.
なんと上の言葉は第二次世界大戦が終わって彼がひとりでコンピューター(クリストファーと名付けられていた)を自宅に作っていた頃の言葉なのだ。この後に彼が同性愛者だということで逮捕された時にこのコンピュータは破壊されている。
これは私が松原望先生と栗原直以さんと(あと数人)と一緒に前の大学を辞める前の仕事として手掛けていた新学部構想と関係する。
この構想は私が「神学部を作ろうと画策している」と妨害により頓挫してしまった仕事で、結局それが原因で前の大学を去ろうと決意したきっかけとなったものである。誤植ではない新学部ではなく神学部。
新学部は簡単にいうと子どもの発達心理学と(ベイズ)統計学とコンピュータサイエンスを融合させた学部を作ろうとしていたのだ。
その時に私はLOGOの開発者のMITのシーモア・パパート、マービン・ミンスキーの第二世代のAIをもう一度辿ってみようと考えていた。心理学者のジャン・ピアジュの名前もあがっていた。
不思議なことに渡邉 純一 (Junichi Watanabe)さんが若い頃アメリカに研修に行った時にLOGOが実際に子どもたちが使う教室(ラボのような)の現場を見たという話を後から聞いたし、なんと井之上パブリックリレーションズの井之上喬会長はパパートと親交があったと最近聞いた。
不思議なものである。私自身が、発達心理学もコンピュータサイエンスも専門で学んだわけではないので、そんな奴に何ができるという思いがあっただろうこと、日本の大学においては容易に想像ができた。私立大学研究ブランディング事業にアプライする考えであったが、豚に真珠だった。だから飛び出す決断もできた。
私の頭にあったのは若い時にロスアラモス研究所で核兵器開発と遺伝子研究に携わったジョージ・コーワンが1984年に民間から資金を集めて砂漠の中に民間のサンタフェ研究所を作り、そこで「複雑系」(カオス理論がその基礎)の研究の拠点を作ったというプロジェクトである。
コーワン自身が複雑系の研究をしていたわけではなく。彼は研究のディレクターであった。オーケストレーションをしたわけである。それは実にうまくいった。このコーワンが私のロールモデルである。
そこから金融工学が生まれ、リーマンショックにまで行きついてしまったことは皮肉ではあるが、学問的には領域を融合させるスタイルを築いた。
学際的、文理融合あるいはハッカソンなどを連想させるフリーでフラットな研究スタイルで、これこそ私が見果てぬ夢のように昔から憧れているものである。(これは私が東日本大震災を経験してすぐに学校広報ソーシャルメディア活用勉強会を呼びかけたことにつながるし、息子のMinori Yamashitaのスタイルにも影響しているかもしれない。また私が前の学園で広報センター長を引き受ける時に理事長から「学園は広報で変えていく。そのディレクター、プロデューサー、コンダクターをやってほしい」と言われて入職したので、責任上、中長期構想はいつも考えていた。そして今は日々の生活に追われながらも、この新学部構想をどこかで実現したいと動いている)




